併設展
2009年10月12(月)-11月8日(日)
東京アメリカンクラブ 1階 玄関ギャラリー
一般公開、入場無料
篠田桃紅
“線とかたちの語らい”
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Prelude lithograph |
HERITAGE lithograph (2001) |
本年度の併設展ではCWAJに永年貢献してきていただき、卒寿をすぎてもなお大作にとりくんでおられる篠田桃紅氏のリトグラフ作品の数点をとりあげました。
桃紅氏は名エッセイストでもあられます。その珠玉の文章は、墨色の線とかたちで空(くう)を彩るリトグラフの、削ぎ落とされた簡潔さの中に稟とした空気が流れているそれに相通じるものがあります。
その両者からは桃紅氏の研ぎ澄まされた感性と香気が伝わってきます。
視覚的なものを文字に置き換えただけで、氏にとってはどちらも目に映ずるもの心にひびくものの表現であり、いわばその言葉の一つ一つは本作品やリトグラフ作品鑑賞への澪標、道しるべ、ともなっておりましょう。
篠田氏がリトグラフの制作を始められたのは1960年代。
氏のリトグラフはまず作家自身が石版に専用のインクで墨を磨るように濃淡ヲつけて描いたものが名摺師の手によって刷り上げられ、その紙面(リトグラフ)の墨色のかたちの上に一筆が加えられます。墨色といっても黒一色ではありません。変幻自在な墨色に一筋の朱、あるいは金、銀、緑、藍鼠などが加えられています。
リトグラフといえどもひとつの作品はその限定部数の一点一点に違いがあり、それがまた魅力のひとつでもあります。仕上げの一筆にこめられた桃紅氏の心の響きが聞こえてくるような気がいたします。
墨色のかたちと線の語らいを各々方の心のありようによって楽しんでいただけたらと思います。
1
“ 一瞬にして去る風の影
散る花、木の葉、人の生、
この世の、「とどめ得ないも」への
私流の惜しみかた、それが私の作です“
2
その線は、線としてかいたものでなく、面をつくることでできた線なのだが、
あたかも生きた意志ある線のごとく見えてる。
それは私が描こうとして描いた線ではないが、
私が作った線であることはまちがいない。
私はそれを、困ったような、いとしいような、意外な、というような、
また、「へええ」というような思いで見守る。
するとその線はみるみるうごきだして、余白とのやりとりをはじめる。
まるで私が石をもって描いた線のようにものを言い出す。
その境は白でも黒でもない。面積がないのだから色があるはずがない。
せめて光、と思うがそれもない。
してあるとすれば、それは、におい、というようなものだろうか。“
「桃紅えほん」より
3
「なぜここへ?」
「なんとなく・・・」
「私は独りがいいのに」
「でも、もう消えることはできないし、いっそもうひとつ何か来るといいかも」
そうしてもうひとつ四角いものが入ってきて、
さらにもうひとつ、となることもある。
それぞれかたちは互いにことばを交わしだし仲のいい日も悪い日もあり、
その内容は絵を見るひとの心ごころで、
それはひとえに、かたちの言葉の聞き取りかたによるらしい。
絵の、こういう、うちはのことばは、
かたちからも、かたちとかたちのあいだからもおくられていて、それはたちどまって聞くひとが
あってもなくても、ささやきつづけている。“
「桃紅えほん」より
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